1999年10月3日

主日礼拝メッセージ

天国への切符 

聖書: マタイ7章21〜23節

メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 旨】

 秋の特別伝道集会が近々開かれます。多くの人がイエスさまに出会い、救われますように。伝道集会は教会に与えられた使命です。この世は世紀末を絶望の徴と考えていますが、イエスさまは全き救いのための「産みの苦しみの始めだ」と言われます(マタイ24:4〜14)。世の終りは神のさばきの時ですが、同時に今は恵みの時、救いの日です。神の御心は全ての人が聖なる者とされる(神の所有とされる)ことです。これこそ天の御国への切符だと教えて下さいます。
 このイエスさまの譬話の中の人達は天の御国を目の前にしながら入れなかった人達です。どんなに力強い声で名説教をしても、また教会内外で派手な働きをしても、肝心かなめの天国行きの切符(救いの確信)を持っていない人の教会生活やこの世の働きは全て空しいのです。上辺だけの信仰、上辺だけの良い業は、人には評価されても神の御前には受け入れられません。
 どうぞ仙川キリスト教会の礼拝に出席されている皆さんも、惜しみなく与えて下さる主イエス・キリストの救いという天国への切符を今受け取られますように。主はあなたにそれを与える為に、ベツレヘムに生まれて、十字架に死んでさったのです。3日目によみがえり、天の父のもとにあって今も生きて働いておられるのです。


 

【本 文】主題「天国への切符」

 

 いよいよ今月末には福島先生ご夫妻をお招きしての特別伝道集会が開かれます。沢山の人が集会に来てお話を聞き、イエスさまを救主と信じることができるようにとお祈りしています。皆さんも今から家族やお友達、近所の人に声をかけてお誘いして下さい。そしてその人々の心が教会に行きたい、聖書を読みたい、イエスさまのお話が聞きたいという心に導かれるように、信じて祈って下さい。それが何よりの特別伝道集会のための準備です。

 さて、今日与えられた御言葉は、終わりの日の備えをせよとの警告の意味が込められています。1900 年代もいよいよ3ヶ月を残すのみです。街角の本屋さんには世紀末に関する書物が溢れています。その殆どは新しい21世紀へ向けての期待や夢を語るよりも、まるで後15 ヶ月の間に地球が滅びることが確実であるように、またそう願っているかのように悲観的な内容で満ちています。このような本を読んでいると、一体人間は何の為にこの世に生まれてきたのか分からなくなります。生きていることに空しさを感じます。先週の木曜日に茨城県東海村で起きた事故は日本中の人々を震撼させました。不気味です。このようにいろいろ怖い事件を見たり聞いたりすると、確かに世界は終わりを目指してその速度を増しているように思われます。イエスさまも聖書のこの個所で、世界の終末は必ず来ると預言されました。しかしその内容はこの世の人々が考えるものと全く違います。これに関連する御言葉に聴きましょう。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そう言うことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのときあなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる国への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」(マタイ24:4−14)。

 この世の終末思想は人を恐怖に陥れるばかりですが、主イエスにとってこの世の終わりは終わりではなく「産みの苦しみの始まり」なのです。戦争と戦争の噂は絶えません。地球人口の6割が飢えています。大地震が頻繁に起こっています。裏切りと憎しみがあり、不法がはびこり、愛が冷えているなあと実感します。しかしそれでもイエスさまの預言には絶望という言葉は見られません。最後まで耐え忍ぶ者は救われるのです。イエスさまの終末論には希望が見え、幸福の音信(おとずれ)すなわち御国の福音が聞こえてきます。教会はイエスさまから「天国行きの切符は未だ品切れになっていない」と言う福音を宣べ伝える使命を担う群れなのです。だから、毎週の礼拝は勿論、特別の機会を設けて伝道集会をもっているのです。 私は時々京王線に乗ったものの、目的の駅で立ち往生することがあります。切符をどこにしまったのか忘れるからです。イエスさまはこの個所で、天国への希望者にただ一つ条件を出されました。それが手にすべき切符です。これなしに天国駅の改札口を通ることは出来ません。それどころか地獄へと真っ逆様に方向転換してしまうのです。

 この主イエスの譬え話の中の人達は天の国を目の前にしながら入れないのです。そこに入る切符を持っていないからです。どんなに上手に主の御名によって、天国について語っても、またどんなに教会内外で主の御名によって派手な働きをしても、その人自身が肝心要の天国行きの切符を持っていないなら、その人の教会生活やこの世の働きは全て空しいのです。エレミヤはこういう人を偽預言者だと言っています。医者でもないのに、病や傷を治すことは出来ません。神が語れと言わなかったことを語る者も同様です。上辺だけの信仰、上辺だけの良い業は人には評価されても神の御前には受け入れられるものではないのです。

 では天国の切符とは何でしょうか。「天の父の御心を行う」ことです。もっと分かりやすく言うと、天のお父さまに喜んでいただけるような生き方です。「神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです」と使徒パウロは言いました(テサロニケ4:3)。「聖なる者」とは、神の者とされた人のことです。自己中心の生き方ではなく、イエスさまを神の子、キリスト、救主と信じる神中心の生活に転換させられることです。

 ペテロはイエスさまから「わたしを誰というか」と問われたとき、躊躇することなく「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を告白しました。その時主は大いに喜び、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは天でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」と言われました(マタイ16:19 )。 先日教会からお休みを頂いて新潟へ行ってきました。13 年振りに新潟栄光キリスト教会で礼拝をささげることが出来ました。そこはかつて4年ばかり牧師として働いた教会です。一番嬉しかったのは、あのころ毎年記録的な大雪に見舞われてどうして良いか分からなかったとき、親切に教えて下さった近所の方との再会でした。しかもその内の幾人かが、今は教会に来られるようになっていることを知ったことでした。私から加山先生へと牧会のバトンタッチをしましたが、種を蒔いた者もそれに水を注いだ者も、伝道者としてその与えられた使命を果たすだけですが、主イエス・キリストはご近所の方々の内に生きて働き、彼らを育てて下さっていたのです。天国行きの切符を手にした人や、今それを求めている人をこの目に見ることが出来ましたことは、何にもまさる喜びでした。

 子ども福音讃美歌に「福音の汽車に乗ってる。天国行きにポッポ−、罪の駅から出て、もう戻らない。切符は要らない、主の救いがある。それでただ行くポッポ−。福音の汽車に乗ってる。天国行きに」と言う一節があります。この歌に逆らうようですが、矢張り切符は必要だと思います。誰にでもただでくれる切符なのですが、これなしには天国に入れません。これを受けずして人生を終えることほど悲しい一生はありません。どうぞ、仙川キリスト教会の皆さんも、惜しみなく与えて下さる主イエス・キリストの手から、無くてならない天国行きの切符を受け、残された人生を喜びと感謝と希望に満ちて生かされる者となって下さいますように。主はその為に十字架に死んで甦えり、天に上げられ、今も生きて働いておられるのです。祈りましょう。

 祈り

天の父なる神さま。あなたの御名を心から崇め讃美します。 「わたしの天の父の御心を行う者だけが天の国に入ることができる」という御言葉を頂きました。私たちは何のためにこの世に生かされているのかをこれによって知ることが出来ました。あなたの手でこの世に生み出されたのですから、あなたのもとに帰ることです。私たちが救われることこそあなたの御心であり、天の御国にに至るただ一つの切符です。どうかこれを受け損なったり、失ったりすることがないようにお守り下さい。私たちの救主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン。


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