【主日礼拝】
福音メッセージ
2005年8月14日
-平和を覚える礼拝-      
 「大胆に語る 」
使徒行伝4章23-31節
 メッセージ:高橋淑郎牧師
 

ペトロとヨハネが釈放された後、真っ先に向かって行った先は、仲間の集まっている教会でした。わたしたちはともすれば教会よりも自分の家庭、自分の生活を優先しがちですが、彼らはそうではありませんでした。自分たちのために祈ってくれている教会こそ帰るべき主にあるホームと信じていたからです。議会での取調べや、それに対して自分たちが何と答えたかを残らず話しました。聴いた人たちの心は一つとされて憂いは喜びに、悲しみは感謝と讃美の歌へと変えられました。彼らの心がどれほど深く神と結び付いていたかが分かります。この歌(25−26節)は詩編2:1−2の引用で、イエスを十字架につけた人々の罪を預言したものです。しかしこれをただの恨み言や呪いの言葉で終わらせないで、むしろイエスを十字架につけた人々は、そのことによって、知らずに神の救いの御業を成就するように導かれていたのだと悟らされたのです。そして、「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」と祈るのでした。

 なんという祈りでしょう。わたしたちはこのような祈りを神にささげたことがあったでしょうか。もしわたしたちが彼らの立場であったら、「イエスが十字架につけられたような苦しみに、わたしたちを遭わせないで下さい」とか、「ペトロたちに及んだ苦難が、弱い自分たちの上に及ぶことのないように守ってください」と祈るのが精一杯ではないでしょうか。成長していく教会とは、迫害を受ける毎に強められ、迫害するものへの愛を深め、福音宣教を積極的に担おうとする姿勢に導かれるのだということを思い知らされる祈りです。このような祈りこそ神に受け入れられるのです。聖霊は喜ばれます。その証として一堂の集まっていた場所が揺れ動きました。御霊に揺り動かされた教会は、更に確信を深めて、大胆に福音宣教の戦いへと出発して行くのでした。

本文は長いのでパソコンでお読み下さい

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