【主日礼拝メッセージ 】                                                    2016年8月21日 

平和を語り伝えよう     
フィリピの信徒への手紙1章12−18節

山岸 明牧師

   私たちは誰もが平和を願っているが、現実の世はこの願いに反して争いでいっぱいである。国と国の戦争、地域紛争、私たちの周りでも同じように争い事がたくさんある。私たちは平和を願いながら、平和の難しさを経験させられる。

 主イエスは集まってきた群衆に向かって「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)と仰せられた。でも、どうし たら平和をつくり、平和を実現していけるのでしょうか。それはこの世が与える平和ではなく、神が与えてくださる平和です。主イエスは「わたしは、平和をあ なたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(ヨハ 14:27)と仰せられた。

 主イエスが与える平和とは「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲 らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ 53:5)この愛と赦しです。

 パウロは自身の経験を通して、どんなかたちであれ、主イエスの恵みと平和が語り伝えられることを喜びとしました。「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと 争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、キリストが告げ知らされているのですか ら、わたしは喜んでいます。これからも喜びます」(フィリピ1:15−18)。

 私たちも平和の君、主イエスを伝える中で「神がいるなら、なぜ、戦争や悲惨なことが起きるのか、なぜ、罪のない人が苦しむのか」と問われ、答えに苦しむ 者です。正直分かりません。しかし、平和のないところに平和をつくり出す、主イエスの十字架と復活を信じて従っていくのみ。そしてパウロの祈った「わたし たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」(テサロニケ二1:2)と祈り、主イエスの平和を語り伝えましょ う。