【主日礼拝メッセージ 】                                                    2016年9月25日 

  『あなたの十字架     
マルコによる福音書8章31−38節

山岸 明牧師

  主イエスは「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え 始められた」(31)。「するとペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。サ タン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(32-33)。

 ペトロや他の弟子たちにとって、聖書で約束されている救い主が人の手によって殺されてしまうことなど考えられないことであり、絶対にあってはならないこ とでした。ペトロはすぐに主イエスをわきにお連れしていさめました。しかし善意から行った行為でも、主イエスの進む道を遮る事に対しては厳しく「サタン、 引き下がれ」と仰せられた。これは主イエスの前に立ちはだかる者ではなく、主イエスの後から従う者になりなさいと言うことです。私たちは知らず知らずのう ちに主イエスの前に立ち、自分に従わせようとするのです。

 主イエスは続けて「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(34)と仰せられた。この御言葉は私たちに もう一度自分の信仰を見直すことを迫ります。口だけのクリスチャンになっていないか、日曜日だけのクリスチャンになっていないか。日常生活において主イエ スに従順に従って生きているか。私たちが自分勝手に自己中心に生活しているとき、それは主イエスの前に立って生きていることになるのです。「サタン、引き 下がれ」はそんな私たちへの悔い改めの御言葉です。

 渡辺和子シスターの著書「小さな死を神にささげる」の中の一文に『生活の中で自分のわがままをおさえること、仕返しや口答えを我慢すること、他人の喜び となる生き方をすること』などは自分を殺さなければできないとあった。アーメン。これも私の十字架だと思った。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失 うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」(35)。このような小さな死から命と平和を生み出されるのです。