【主日礼拝メッセージ 】                                                                                     2017年07月23日 

                          『新しく生きる』

                      ローマの信徒への手紙6章1−14 節
                              山岸 明牧師

 菅野兄、バプテスマおめでとうございます。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御 父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(4)。とあるように、浸礼は全身を水の中に沈めます。 そのときに古い自分が死に、水から出て来たとき、そこに新しい命が宿り、新しい自分を生きる事になるのです。

菅野兄の信仰告白の中に「30代になってから、このまま仕事を続けて人生が終わっていくのか、将来に対する漠然とした不安を感じるようになった」とありま した。ただ、人生が過ぎていく、自分は何のために仕事をし、何のために生きているのか、人生の空しさを覚えたと思う、また人生を真剣に考えたことでしょ う。しかし、どんなに考えてみても答えは見えず、残ったのは虚無感だけだったと思う。

昔、ソビエトで捕虜に対する拷問があった。毎日穴を掘らせて、次に掘った穴に土を埋めるという作業、これを何百回、何千回と毎日行わせる。これは意味も目 的もない事をさせるという拷問です。結果、多くの者が最後には人格崩壊が起きたと言います。まさに現代に生きる我々の姿です。

バプテスマは主イエスが死んで葬られたように、私も葬られるのです。もちろん、葬りで終わりではありません。主イエスが復活したように、私も古い自分が死に、そこから新しい命に生き始めます。その意味で洗礼式は目に見える葬りと復活の新しい命の誕生の式でもあります。

今日から新しい生活「信仰生活」が始まります。主イエスと共に生きる新しい生活です。主イエスは過去の人ではありません。今も生きておられます。私の人生 に意味と目的を与えてくださるお方です。あなたの人生、神がいない世界を生きるのか、それとも神がおられる人生を生きるのか。あなたはどちらを生きたいの か、真剣に考えてみよう。



 
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