【主日礼拝メッセージ 】                                                                                     2017年07月30日 

                          命はつながり

                       マルコによる福音書10章17−22節
                              山岸 明牧師

 ある金持ちの男が主イエスのもとに来て質問した。それは単刀直入に「永遠の命」についてであった。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには何をすればよいで しょうか」(17)。それは、どうしたら永遠の命を得ることができるのか。私たちも色々なことを考え、取り組まなければならない事がありますが、一番大切 な命についてどれほど真剣に取り組んでいるでしょうか。

 主イエスは答えた「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」(19)。すると彼は「先生、そういうことはみな、子供の時から 守ってきました」(20)。この態度に非の打ちどころのない立派さが伺える。この男は今まで人から褒められるだけの人生だったかも知れない。真面目です ね、熱心ですね、親孝行ですね、宗教心があついですね、立派ですね、と何度も言われてきた事でしょう。

 主イエスは何でも分かる立派なこの男に「あなたに欠けているものが一つある」と言って「持っている者を売り払い、貧しい人に施しなさい」と言った。男は それを聞くと、気を落とし、悲しみながら立ち去ってしまった。聖書を見ると主イエスと出会った多くの人々は喜び、賛美し、感謝して帰って行ったが、彼は悲 しんで帰って行った。

 聖書に長年、長血に苦しむ女性が、主イエスの噂を聞き、主イエスの服に触れれば癒されると信じて手を伸ばし服にふれ病は癒されたことが記されている。物 語はそれで終わっていない。主イエスは服に触れた人を探された。女が出てくると、主イエスは女と言葉を交わし、その信仰を励まして帰された。(マルコ5: 25−34)。主イエスは、病気が治ればそれで「良し」とされなかった。

 金持ちの男は知識を求め、主イエスは「命のつながり」を求められた。命とは、つながりです。つながっているから流れる。永遠の命とは、知恵や物ではな く、生き生きした関係の事なのだ。主イエスは仰せれた「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)。主イエスが命そのものですからだか ら、主イエスとつながる事によって命が流れ伝わるのです。

 
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