主日礼拝メッセージ                                                                                   2018年05月27日 

                         
忙しければ忙しいほど・・・

ルカによる福音書10章38‐42節
                                                                                                   山岸 明牧師              
                          
忙しさは心を亡くすと書きます。私たちは心を亡くすほど忙しさに追われるときがあります。また忙しさを避けられないときもあります。ではどうしたら心を亡くさないように忙しさに対処できるのか。「忙しければ忙しいほど・・・」皆さんはこの後に何を入れますか?

主イエスと弟子たちがある村に入ったとき、マルタという女が主イエスの一行を家に迎い入れた。マルタは喜んで “もてなし”の準備をはじめた。やる事はたくさんある。それでもマルタは主イエスのために一生懸命に仕えていた。一方、妹のマリアは忙しく働く姉にはお構 いなく、主イエスの足許に座りこんで、主イエスの話に聞き入っていた。マルタは妹のマリアの態度に不満を抱きながら、段々と苛立ってきて、ついに我慢の限 界を超えて怒り爆発。

そして主イエスに不満をぶつけた。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっ しゃってください」(40節)。 それに対して主イエスの言葉は「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い 方を選んだ。それを取り上げてはならない」(41-42節)。マルタは主イエスの予想外のお言葉に耳を疑い大きなショックを受けたと思う。

主イエスの御心は何でしょうか。聞いている方が正しくて、仕えている方が間違っていると言ったのでしょうか。主イエスは忙しければ忙しいほど優先順位が必 要だと教えた。マルタは一生懸命に主イエスに与えようとした。マリアは一生懸命に主イエスから教えを聞こうとした。共に良い事です。だが主イエスはマリア を評価された。何故か、それは主イエスから受けずして、他者に与える事はできないからです。

私たちが奉仕で忙しく立ち働いていると、必ずマルタ型になってきます。私たちが神の器として豊かに用いられるのは、まず主イエスから受ける必要があるのです。ルターは言った。「忙しければ忙しいほど、祈れ」と。人生の最優先は主のみ言葉からスタートすることです。

               

 
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