主日礼拝メッセージ                                                                                   2018年07月15日 

『悲しむ人々は、幸いです』


マタイによる福音書5章1‐12節
                                                                                                   山岸 明牧師      

 あなたはどうしようもなく辛く悲しいとき、その悲しみをどのように対処していますか。何か他のもので気分を紛らわす。悲しみを忘れようと努力する。思 いっきり悲しんで泣く。そうする事で気分が和らいだりすることはあります。一方で人間には悲しむという感情が神様から与えられているので、悲しいときに悲 しむ事ができなかったり、泣きたい時に泣く事ができないのはとても辛い事です。故に聖書は悲しみに対して正しい方法で対応するように教えています。

 聖書に「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」(コリント二7:10)とある。これは悲しみに対して健康な悲しみと不健康な悲しみがあると言う。

 健康な悲しみは、主イエスからの慰めを豊かに受けること。そのために、私たちがこの世で負うすべての悲しみを主イエスに結び付けていくこと、そのとき に、「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」(4)とあるように、悲しみが喜びへと変えられていくことを体験するのです。

 反対に主イエスに結び付かない悲しみは世に結び付き、不健康な悲しみとなっていく、あの人にこう言われた。裏切られた。私がこうなったのはあの人のせい だ、親のせいだ、会社のせいだ、社会のせいだ、また私なんかダメだ。こうして自分を責め、相手を責め、社会を責めていく。そこから抜け出せなくなってしま う。それがこの世の悲しみです。世の悲しみは死をもたらします。

 私たちは悲しみと言う感情をしっかりと受け止めて、我慢するのではなく、ごまかすのでもなく、明るく元気に頑張るのではなく、悲しいときは悲しんで、そ の自分をしっかりと受け止め、そして大切にし、その悲しみを主イエスのもとに持っていき、私は辛くて悲しいと正直に告白し思いっきり泣くことができたら何 と幸いなことでしょう。なぜなら主イエスが慰めてくださるから。

 私の悲しみがイエス様に結び付いていくのか、それともこの世に結び付いていくのか、それは慰めを受けるか、死を受けるかです。選択するのはあなたです。正しい判断をしましょう。

               

 
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