主日礼拝メッセージ                                                                                   2018年08月12日 

平和を実現する人々は、幸いです』


マタイによる福音書5章1-12節
                                                                                                   山岸 明牧師      

  自分の心に平安がない、家庭の中に、友人との間に平和を持つ事ができなくなった。そのとき、私たちはどのように平和を実現していったら良いのでしょうか。 主イエスは仰せられた。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせる な。おびえるな。」(ヨハネ14:27)平和を実現するには私自身が平和を持たなければなりません。それはこの世の崩れ去る平和ではなく主イエスが与える と約束された平和です。
 
 「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」(ヨハネ20:19)主イエ スが十字架に付けられた時、弟子たちは恐れと不安の中で息を殺して隠れていた。弟子たちにとって最も平安を失っていたときです。私たちも人生の中で平和 を、平安を失うときがあります。

  今、弟子たちが不安で恐れている一番の原因は何でしょうか。突き詰めれば、主イエスが共におられないということ。私たちの人生の問題も突き詰めれば同じで はないでしょうか。主イエスが共におられるかどうかです。それが一番の問題ではないでしょうか。恐れる弟子たちの前に主イエスが現れて仰せられた。「あな たがたに平和があるように。」弟子たちは主がおられることを見て喜んだ。主イエスが共にいて下さるならば、そこがどんな状況にあっても平安になった。主イ エスは平和を作り出すことができるお方、主イエスが私の人生の中心に立たれるならば、そこには平和がある。そこから安心と喜びが出て来るのです。

  弟子たちを取り巻く状況は何も変わっていません。今も厳しい状況です。だが主イエスの「平和があれ」その一言で状況が一変したのです。これが主イエスの平 和です。パウロは言った。「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。」(コロサイ3:15)。「どうか、平和の主御自身が、いついかな る場合にも、あなたがたに平和をお与えくださいますように」(二テサロニケ3:16)。私たちが平和を実現するには、まず私が主イエスから平和を頂き、そ の平和を持ち運ぶのです。

               

 
 戻る