主日礼拝メッセージ                                                                                   2018年10月21日 

死への備え

コリントの信徒への手紙(一)15章55−58節
                                                                            山岸 明牧師     

やがて訪れる死を見つめて生きる中で「終活」というものがあります。死を意識して、最期を迎えるに当たって様々な準備をすること、自分が死んだ時に家族が 困らないように前もって身辺整理をしたり、自分の希望をまとめたりしておくことです。また自分の人生を振り返り、死を受け入れようとする心の整理も終活に は含まれているようです。

聖書には、そのような終活とは別にもう一つの終活を勧めています。聖書の終活とは「あなたの神に会う備えをせよ」(アモス4:12)です。また聖書には 「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(へブル9:27)と言う。またパウロは「わたしたちは皆、神の裁きの座の前に 立つのです」(ローマ14:10)と言った。これらのことから私たちは終活が絶対に必要なことなのです。
 
終活T、救い主イエスを信じること。人間はみな罪人ゆえに裁きを受けるべき存在ですが、主イエスが「神に会う備え」をしてくださった。主イエスは私たちの 罪をすべて背負い、私に代わって罪の裁きを十字架の上で受けてくださった。それによって主イエスを信じる者は裁かれることなく、神の前に立つことができ、 確実に天のみ国へ行くことができるようになった。それがイエス・キリストの十字架の犠牲による罪の赦しです。

終活U、しつかり立つこと。死は勝利に飲み込まれた。「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(15:55)主イエス は十字架の死のあと三日目に復活された。死は復活の勝利に飲み込まれたのです。主イエスを信じる者は、動かされないようにしっかり立つこと。神を信じて生 きる事は愚かなこと、経済的に豊かになる事こそが幸せだという価値観の社会で、私たちは葛藤し迷いながら生きているのです。 だからこそ、パウロは信仰を確信し「動かされないように、しっかり立ちなさい」と言った。

終活V、主の業に常に励むこと。私たちは信仰者として、どのように生きるか日々問われています。私たちの歩みは良い事ばかりではありません。喜びの日もあ れば、苦しみの日もあります。自分の歩みが無意味に思えてくる事もあります。だが、主に結ばれているならば、必ず苦労が益となることを信じて主の業に励み ましょう。

               

 
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