主日礼拝メッセージ                                                                                   2019年2月3日 

祈りの力
マタイによる福音書26章36-46節
                                                                              山岸 明牧師
  
               

私たちは日々、いろいろな祈りをします。感謝の祈り、願い求める祈り、苦悩の祈り、切実なる祈り。主イエスは迫り来る十 字架を前にゲツセマネにおいて切実なる祈りをささげた。主イエスはまもなくご自分が捕えられ十字架につけられることを知った。この時、逃げようと思えば逃 げる事ができた。しかし主イエスは逃げずに十字架へと突き進んで行った。聖書には「そのとき、悲しみもだえ始められた。」(37)とある。迫りくる十字架 への戦い。主イエスは「わたしは死ぬばかりに悲しい。」(38)と叫んだ。

主イエスは祈り続ける中で「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と切なる祈りをされた。しかし、祈り続ける中で切なる祈り が変わっていった。続けて「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(39)と祈られた。自分の意思を、信頼する神様の御心の意思に服従さ せようと必死に戦っている信頼の祈りです。

主イエスが血の汗を流して祈っていたとき、共に目を覚まして祈っていなさいと言われた弟子たちは何と眠むっていた。誰一人主イエスと共に心を注ぎ出して祈 る者はいなかった。十字架は孤独の中で主イエスがお一人で背負われた。更に主イエスは祈られ最後にこう言われた。「時が近づいた。人の子は罪人たちの手に 渡される。立て、行こう。見よ。わたしを裏切る者が来た。」(46)。

ゲツセマネでの祈りは最初「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と言う苦悩の祈り。次に「しかし、わたしの願いどおりでは なく、御心のままに。」という神への信頼の祈へ。最後に「立て、行こう。見よ。わたしを裏切る者が来た。」主イエスの勇気に変わって行った。

このように祈りを通して主イエスの心が変わった。神様との深い祈りの交わりが、苦悩から信頼へ、そして勇気へと変えられていったのです。私たちの祈りはど うでしょう。神様との深い交わりが持たれているのでしょうか。いや、あまりにも形式的な祈りだけではないでしょうか。もっともっと切に祈ろう。祈りは私の 思いを変えてくださることを信じて祈ろう。
 

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