主日礼拝メッセージ                                                                                2019年06月30日 


                             『鍛錬によって結ぶ実
                              ヘブライ人への手紙12章4−13節
                                      山岸 明牧師
              
  「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはならない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れる者を 皆、鞭打たれるからである」(5−6)。主は愛する者を鍛え鞭打たれると仰せられます。そこにはいったいどのような意味があるのでしょうか。

 聖書の鍛錬には「しつけ」「訓練」と言った意味があります。私たちが子どもの頃、親から日常生活の中で「しつけ」や「訓練」を受けたように、神も日常の あらゆる問題を用いて、私たちをしつけ、訓練されるのです。ですから「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思い がけない事が生じたかのように、驚き怪しんではなりません」(ペトロ(一)4:12)と仰せる。

 なぜ鍛錬をするのでしょうか。それは私たちを愛しているからです。「主は愛する者鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」(5−6) とあるように、主は鍛錬を通して私たちの人格を整え、クリスチャンとしての品性を養ってくださるのです。そのために「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐 しなさい」(7 )とも仰せられます。なぜならば「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」(5:8)。故に、私たちが受ける試練 はすべて十字架と復活であるキリストを通ってくるのです。

 鍛錬の最終目的は何でしょうか。それは、主から鍛錬を受ける事で真のクリスチャンへと育て鍛えあげられていくのです。真のクリスチャンとはどんな人で しょうか。それはどんな状況の中にあっても神を信じ、信頼していく者です。そして、神に似たものとして成長していくのです。「わたしの兄弟たち、いろいろ な試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい、そうすれ ば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」(ヤコブ1:2−4 )  神は私たちの事を心にとめ最善の計画を持っておられます。その事を信じて忍耐しましょう。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。その希望は私 たちを欺くことはありません。」(ローマ5:3-5)


         

 
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