主日礼拝メッセージ                                                                                2019年07月14日 

イエスの12弟子(1)フィリポ
ヨハネによる福音書14章6−11節
山岸 明牧師
              
主 イエスの12弟子の名前は「ペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファ イの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである」(ルカ6:14−16)。

フィリポと主イエスの出会いは、新改訳には主イエスがフィリポを見つけて「わたしに従いなさい」と言われ従った。その後フィリポはナタナエルを主イエスのもとに招き、何人かのギリシヤ人の仲介役をし、主イエスに会わせた。フィリポは神と人をつなぐ役目を担った。

私たちも主イエスに見つけ出された者として神と人をつなげる働きをしたい。そこで大切な事は何か。主イエスが「今から、あなたがたは父を知る。いや、既に 父を見ている。」(9)と仰せられたとき、フィリポは「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言った。フィリポの答えは、 知らない、分からない、見ていません。だから「神を見せてください」と言った。主イエスは「フィリポ。こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分っていな いのか。わたしを見た者は、神を見たのだ」(9)と仰せられた。「御子は神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現われである」(ヘブライ1:3)。主イ エスが神様を完全に現わしてくださったのです。

この言葉が突き刺さります。フィリポは長い間主イエスが一緒にいるのに満足していなかった。だから満足できるように神を見せて下さいと願った。私たちは満足していますか。心満たされていますか。神を見たと言えますか。私は神に愛されていると確信をもって言えますか?

今、神を見たいと思っている方、見なければ信じられないと思っている方に言います。神を見る事ができるのです。聖書から主イエスのなされた事を見るので す。人を愛し、赦し、癒し、真理を語り、奇跡を行った。その一つ一つがすべて神の御心であった。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わた しを遣わした方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのである。」(ヨハネ12:44-45)

         

 
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