主日礼拝メッセージ                                                                           2020年2月16日 

今知らず、後で知るべし

ヘブライ人への手紙12章11節 (新約 p. 417)

山岸 明牧師


   聖書に「汝ら今知らず、後で知るべし」という御言葉がある。それは、今は分からないが、後にその意味を知るときが来る。パウロは自分の身に起こった様々な 苦難は偶然ではなく、わたしを成長させるための神が与えたもう試練であり、鍛錬であることを知った。

  パウロは自らに起こった様々な苦難を書き記した。「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬ ような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船 したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上 の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありまし た。このほかにもまだあるが、その上、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」(コリ㈡11:23−)。
 パウロはこれらの鍛錬を通し「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」(ローマ8:18) と言った。パウロは単純に「今は辛いけど、後は楽になる」と言っているのではなく、パウロが語る「栄光」には「価値」が含まれている。栄光が現れるという ときに、今の苦しみに「価値」が与えられる時が来る。

 だから苦しい今だけを見て失望したり、諦めたりして時を過ごしてはいけない。後で全てのことが明らかになり“そうだったのか”とうなずくときが必ず来る と言う。今、苦難の中に在る方、「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃 れる道をも備えていてくださいます。」(コリ㈠10:13)。この神の約束を信頼して歩んでいきましょう。


 
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