主日礼拝メッセージ                                                                                                                     2020年10月18日 

  「主が来られて呼んでおられます」

  ヨハネによる福音書11章28-29節
「マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、
「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。
マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。」


  ヨハネによる福音書11章1-6, 17-45節(新約 p188 )

清水智子神学生
東京バプテスト神学校)


さて、今日の「主が来られて呼んでおられます」というメッセージは、ヨハネによる福音書11章からです。この話しは、他の福音書にはでてきません。ヨハネによる福音書が書かれた目的である「いのちを得る」(ヨハネ20:31)というテーマがリアルに表れている箇所です。
イエスさまの友人でした姉妹マルタとマリアの弟ラザロが、重い病気になり死んでしまうのですが、イエスさまは、死後4日経ったラザロを墓の中から生き返ら せます。「私はよみがえりであり、いのちです。私を信じる人は誰もが皆、絶望や死でおしまいではないのです。あなたはこの言葉を信じますか?」(聖書教 育)。これは、希望の言葉です。
主題である「主が来られて...」は、28節の「先生がいらして、あなたをお呼びです」、とマルタがいつも座っているマリアを呼びに行き言った言葉です。 「いらして」、という単語の原形には「絶えず傍らに座っている」という意味があります。以前、マルタが妹マリアとの関係で主から指摘された言葉は、「イエ スさまの訪問に、ただ足元に座り話しを聞いていたマリアから、主の言葉を聞くということを取り上げてはなりません」というものでした。「主が来られる」、 「主はいつも私たちの傍らにおられる」は希望の言葉です。
「主イエスは神がお遣わしになったお方」、「主は、私たちを暗闇の世界から出してくださるお方」、「神に在る永遠のいのちを与えてくださるお方」、「究極 の悲しみの中でも寄り添って共に泣いてくださるお方」です。一人、神さまに向き合い、祈り、み言葉を読むとき、教会の全ての出来事の中にも、日々の生活の 中にも、私の霊が主に向かっていると、そこには私たちを友と呼んでくださるお方、イエスさまがおられます。父なる神、子なるキリスト、聖霊の働きの中で、 私たちは日々新たにされ、神の永遠のいのちの中に生きることができます。「主が来られて、呼んでおられます!」豊かな一週間を共に歩んで参りましょう!

 

 
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