主日礼拝メッセージ                                                                                                    2021年01月24日 

 百人隊長の愛

山岸 明牧師

   マタイによる福音書5章17節
 
「そして、百人隊長に言われた。
『帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。』
ちょうどそのとき、僕の病気は癒された。」


 
聖書: マタイによる福音書8章1−13節 (新約 p13)

 主イエスの前に一人の百人隊長が来て、「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込 んで、ひどく苦しんでいます。」と言った。(中風とは脳梗塞などの後遺症で動けなくなってしまうこと)。また僕とは奴隷であったり、身分の低い者が雑用な どをする召使いのこと。当時は僕が病気で動けなくなったりしたら、用済みとなり追い出されるのが当然であった。だが百人隊長はこの僕の癒しを求めて主イエ スのもとに来た。

 主イエスは「わたしが行って癒してあげよう」と言われた。すると百人隊長は。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありま せん。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕は癒されます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に「行 け」と言えば行きますし、他の人に「来い」と言えば来ます。また、部下に「これをしろ」と言えば、その通りにします。」百人隊長は権威ある者の言葉は必ず その通りになる事を知っていた。

 主イエスはこれを聞いて感心した。(他訳では驚かれた)。権力と力のある百人隊長が一人の僕のために自らがへりくだり僕の姿になり、主イエスの前に土下 座するように嘆願した。どうしてそこまでするのか、百人隊長の僕に対する愛です。この僕を救いたい、これがすべての始まりです。僕の救いのために、権力や プライド、自分の都合などを捨てて、僕と同じ姿になった。主イエスは百人隊長の中に本物の愛を見たのです。

 主イエスの愛も普通ではありませんでした「キリストは、神の身分でありながら神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、 僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6 −8)。主イエスの驚くべき愛です。驚くことは感動することです。私たちの中で主イエスへの愛の感動がうすれてくるような事があれば、それは悲しいことで す。今一度、自らの信仰を点検してみよう。そしてパウロのように祈ろう、「人の知識をはるかに超えるこのキリストの愛を知ることが出来ますように」と。 (エフェソ3:19)


 
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