主日礼拝メッセージ                                                                          2021年09月05日 

信仰スランプからの脱出

山岸 明牧師

マタイによる福音書18章1−5
「はっきり言っておく。

心を入れ替えて子供のようにならなければ、
決して 天の国に入ることはできない。」



  よくスポーツ選手がスランプに陥って苦しんでいる姿を見ることがあります。信仰生活においても同じように信仰スランプに陥ることがあります。信仰の意味を見いだせなくなったり、教会へ行く意味も分からなくなってしまう、本当に苦しいときです。
聖書に出てくる偉大な信仰者たちも、同じように信仰スランプを経験した。モーセの信仰スランプの原因は責任の重さからでした。そしてスランプからの脱出 は、その重荷を誰かと分け合ったことでした。ヨブの信仰スランプは不条理な災難でした。そしてスランプからの脱出は、神に求め続けたことでした。エリヤの 信仰スランプは疲れでした。そしてスランプからの脱出は休息でした。

 スランプの原因も脱出方法もそれぞれ違いますが、一つの共通点を見ることができます。それは、基本に戻ることでした。では信仰の基本は何でしょうか。聖 書を読むこと?お祈りをすること?み言葉を行うこと?どれもスランプのときには難しい、基本はもっと単純で簡単なこと、主イエスは仰せられた。「心を入れ 替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天国でいちばん偉いのだ。」(マタイ 18:1−3)
子どもは聖書の細かい知識とか解釈などは知りません。しかし、神がおられること、そして、自分を愛してくれていることを本能的に素直に感じ取っていきま す。だから、聖書の事をよく知らなくても、素直にバプテスマを受けたい、神様を信じたいと思うのです。これが「基本」ではないでしょうか。モーセも、ヨブ も、エリヤも素直に信仰の基本に戻り、神はわたしを愛し、決して見捨てない。その約束を信じ、主の言葉を受け入れた。
 
 子どものように素直に『神はわたしを愛している』ことを信じ。その基本に忠実であれば、後のことは自然に備わってくるのです。逆にその「基本」ができて いなければ、どんなに聖書を読んでいても、知識を持っていても、それはまったく無駄なものでしかないのです。「御父がどれほどわたしたちを愛してくださる か、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。」(ヨハネ一3:1)

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