主日礼拝メッセージ                                                                                        2022年04月03日 

十字架を仰ぎ見ながら

井馬佐紀子神学生

マルコよる福音書13 章33 節

気をつけて、目を覚ましていなさい。
その時がいつなのか、あなたがたに
は分からないからである。」

聖書
マルコよる福音書13 章32−37 節



 今日の聖書箇所は、主イエスが十字架にかかられる前、弟子たちに終末についてお話しをされたところであります。エルサレム神殿の崩壊を預言すると同時に、31 節「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」と仰った上で、その日については父だけがご存知であり、天使たちも子も知らない。だから気をつけて、目を覚ましていなさい、と伝えました。主イエスはご自分が天に挙げられた後、再び地上に戻ってくるまでの間をどう生きるべきか弟子たちに、私たちに教えておられます。

 では目を覚ましている、とはどのような状態のことを言うのでしょうか。ここでは家を後に旅に出る主人とその僕たち、門番の関係にたとえられています。主 人は僕に仕事を割り当て、責任を持たせました。僕がもし与えられた仕事を放棄して、主人の帰りが遅いからと遊び呆けていたら家はすぐに荒れ果ててしまうで しょう。大切なことは常に心を主に向けて、誠実に帰りを待つことではないでしょうか。しかし次の14 章では、弟子たちが誘惑に負けて眠ってしまう姿が描かれ、人間の弱さが浮き彫りにされます。そのような弟子たちに主イエスは2度「目を覚ましていなさい」と言い、3 度目には「もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。」と言って十字架の道へ進んでいかれました。

 私たちは弱く、すぐに誘惑に陥り、成すべき務めから離れやすい者であることが現実です。それでも目を覚ましている努力をするためには、そのような私たち のために十字架についてくださった主イエスを常に仰ぎ見ることと、門番が見張りの交代をするように、教会に連なる兄弟姉妹と共に祈りあい支えあうことでは ないかと思わされます。
 新年度を迎え、これから私たちはどのような姿を目指していくべきでしょうか。共に祈り合い支え合いながら、神と人を愛し、仕え、主に託された責務を果たしていけるような教会でありたいと願います。