【主日礼拝・讃美と祈りの礼拝】                                 2008年7月13日 

証と讃美演奏

「慰め  メンデルスゾーン」

増田理恵姉

信仰の証

         音声による証と演奏


・挨拶、自己紹介


・感謝
 初めてお目にかかる方もいらっしゃるかと思いますが、何度か今までにこちらの教会で、皆様とお交わりをさせていただき、又、折にふれて紫園香姉妹から「りえちゃんの事うちの教会でもお祈りしているからね」と言っていただいて、本当に自分が弱っている時、どう祈ってよいかわからないような時に、私のことを祈っていて下さる方がいる−−という事に支えられていました。ありがとうございます。とりわけこの2月〜3月に病気治療の為、鹿児島に行っておりました時には、紫園姉が1泊2日ではるばるお見舞にいらして下さって短い時間でしたが、その中にぎっしり神様の愛と、紫園姉の愛が凝縮されたような、一生忘れられない時を与えられました。沢山の祈りのときと励ましを姉妹からいただいて、皆様のお祈りに支えていただいて、それが魂の最も深いよろこびとなり、きっと免疫力もぐんと上がったのだと思います。今こうして再び元気にしていただいて、今日は礼拝にお招きいただき、こんな信仰の未熟な者にお証をさせていただく機会を与えられましたこと、心から感謝申し上げます。

・証し


 どのような人の人生にも、試練の時、逆境の時、まるで神様から引き離されたかのように思う「心の冬」とも言うべき時が、一度か二度はもたらされるものだと思いますが、今2008年の夏を迎えて、ここに至る5年間のことを振り返りますと、私にとっての、まさにその様な時だったのではないかと思われます。5年という年数の中でもたらされた事にしては、重く、大きな事が立て続けに起きて、その一つ一つによって味わう悲しみ、喪失感、不安は、心を暗闇の虜にするのに充分なものでした。実際私は、降りやまないどしゃぶりの雨の中を走り続けているような気持ちで(いつになったら普通の、平穏な生活を送れるのだろう)と疲労困憊してしまう時もありました。けれどもどのような時の中でも、神様は確かに私と共にいて下さり、悲しみと同時に喜びを、失望に終わることのない希望を与えて下さり、心配や恐れを手放せないでいた私に、何よりもまず第一に神様を信頼するよう、やさしく手を差しのべて下さいました。影が長くて背の高い木ほど一層枝先は光に近いように、人生においても、影が長い時ほど、光の方に向き直って手を伸ばしさえすれば、神様はすぐ近くにおられるのだと教えていただいた5年間の事を、今日は、お証させていただきたいと思います。


 5年前の丁度今頃、検診で私の左胸に乳ガンが見つかり、すぐには手術も受けられない程大きくなってしまっていたので、半年間抗ガン剤治療を受けることになりました。治療が始まると、身体も色々な副作用の為にとても弱っていきましたが、精神的にも(この先どうなるのだろう)と不安でいっぱいになることがありました。例えば肝機能が低下して抗ガン剤の点滴をストップされて何の治療も受けられなかった時期や、副作用で手足がひどくしびれてしまい、そのしびれは何年も残ると医師に言われて、(もうピアノも弾けないんだ)と張り裂けそうになった時、私は親しい人達が皆遠い山の向こうにいて、自分だけがまっ暗な谷底を歩いている様な気持ちでした。文字を読む気力もなく泣きながら横になっていたある時、夫が「大丈夫!あんたはきっと治って150まで生きるよ!」と、内心は心配で仕方なかったと思うのですが、明るく励ましてくれました。そして、当時夫はクリスチャンではなかったのですが、枕元の聖書をパラパラとめくって、「ほら『いつも喜んでいなさい』って書いてあるじゃないか」と言うのです。正確にはそれはピリピ人への手紙4章4〜7節のみ言葉でした。『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。・・・何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます』それから先も(一体何を喜んだら良いのだろう?)と思う様な状況にあう度に、このみ言葉は、「主にあって喜ぶ」という事を教えてくれました。私の状況や痛みそのものを喜びなさいと言われるのではなくて、「どんな状況でも何があっても、その中に働かれる神様の愛、配慮、慰めを喜ぶことはできる」という事でした。5年前のその時は、いくら思い煩っても病気は良くなる訳ではないのだし、治るのかどうか案じるより、治っても治らなくても、ピアノが弾けても弾けなくなっても、「今この時」神様に生かされている事を感謝して、喜びを見逃さないで生きていたい!という心に変えられていきました。それからは唯寝ているだけの一日でも、窓から雨上がりの虹が見えたこと、バラ色の夕焼けが、それは美しかったこと、やっと外に出られてマスクを外した時の金木犀の香り、手を振って挨拶してくれるように揺れる秋桜・・・一つ一つが神様からの日毎のギフトの様に受けとめられるようになりました。5年前の事でも、まるで真空パックに保存されているかの様に、その時味わったことは鮮やかに残っています。そしてそのさ中にある時はそうとは気づかなかったのですが、治療と養生の為に休んでいたその一年半という年月は、夫と最後にゆっくり一緒に過ごせた恵みの時でもありました。


 それから私の病気と手足のしびれは奇跡の様に癒やされて、新しくされた思いで賛美を捧げさせていただけるようになり、2005年春から仕事にも復帰して、感謝な日々を過ごしていました。その半年後の12月、夫に膵臓ガンが見つかり余命3カ月と言われました。これはまさに青天の霹靂でした。けれども神様はこの3カ月という限られた時間に最大限の祝福と恵みを与えて下さいました。医師には無理と言われた最後の舞台で大好きなウィンナワルツを指揮して教え子達のオーケストラと至福の時を過ごし、その45日後にこの世を旅立つまでの間、私が伝えようとする神様の事、永遠の命の希望について、心を傾けて聴いてくれました。そして最後の日には、「大丈夫だからね、これで終わるんじゃなくて永遠の中に入るんだからね。私の声がきこえなくなっても、そこから先はイエス様が一緒だからね。イエス様の救いを信じて一緒に天のふるさとに帰ろうね」と言う私の声にいずれもはっきり3回頷いて、それから5分後に眠るように逝きました。最後の頷きを神様が待って下さったとしか思えないような看取りの時を与えられた事は、悲しみの極みに喜びも同時にあるという不思議な平安をずっと心に残してくれました。


 それからすぐに私の父にもガンが見つかり、半年後に亡くなりました。ポッカリと胸に穴があいた様な思いにうずくまる間も無い程、後から後から片づけなくてはならない問題が押し寄せて来ました。父の住まいを引き払って母が私と住むようになりましたが、またその上に母の兄である私の伯父、母の甥である私の従兄弟を相次いで見送ることになり、当時の母は放心状態でした。何しろ一人娘がガンになって予後が心配な上に、娘の夫、自分の夫、兄、甥という頼りにしてきた身内が皆いなくなってしまったのです。日本の古くからの迷信や因縁といったものに囚われていた母は「どうしてこんなに良くない事が続くんだろう」と悲観するばかりでした。神様はそんな母の心にも深く働きかけて下さいました。礼拝に一緒に通うようになった母が、わずか9カ月後の昨年12月30日に受洗に導かれたのです。その日には私も何年ぶりかの、しんからの安らぎに包まれ、色々あったけれどこの年の最後に神様が最高の贈り物を授けて下さった−−と感謝で一杯でした。母が神様を求めるよう導かれた直後の新年早々に私の右胸に新しいガンが見つかり、2月1日から2カ月間、主治医のすすめにより鹿児島で入院生活を過ごしました。日常とかけ離れた所に連れ出されるようにして神様は、日頃私の時間と心の大半を占めている仕事も、音楽も、生活上の問題も全てひと時取り除かれました。あるのは唯「今この時」全身全霊をあげて神様を礼拝する事だけでした。2カ月間毎日何時間でも聖書を読み、黙想し祈る時を通して沢山の、み言葉が与えられました。折りしもイエス様が試みにあわれた40日間と重なる日々、ヘブル人への手紙4章15〜16節の『私達の大祭司は、私達の弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、全ての点で私達と同じ様に試みにあわれたのです。ですから私達は、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折りに叶った助けを受ける為に、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか』というみ言葉に励まされました。実は夫が亡くなった後、わずかながら夫が遺したものを巡っての相続問題が生じて、私は預金の全てを失う上に、母と住む小さなマンションも売らなくてはならないかもしれない状況に、この2年間追いつめられていました。神様の恵みに感謝して過ごしながらも(この先また病気になったらもう仕事はできないし、どうやって暮らしていけるだろう)という恐れや心配をどうしても手放せないでいました。けれども鹿児島での静まりの時、自分の状況を見つめる目を、イエス様を見上げる方向に向けて、思い煩いや弱さ、疲れ果てた心を全て差し出して、イエス様に満たされる一日一日の中で、私は身体も心もゆっくりと癒やされていきました。日常に戻された今、周りの状況は変わらなくても、鹿児島で過ごした神様との深いつながり、親しい交わりの時は、毎日の中で以前よりずっと強められています。

 それは誰も私から奪うことはできません。相続問題はまだすっかり解決してはいませんが、私の中では本当に全てを神様にお委ねしようとする決断に導かれ、やっと一歩踏み出すことがでました。その瞬間!ずっと追われて逃げていたような長い不安から解放され、神様のみ手が、私をやさしく、しっかりと支えて下さっているのを感じました。

 『そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます』 

25年前に与えられた、あのピリピ人への手紙のみ言葉を通して約束して下さった神様の平安を、今、深く味わっています。

    

 

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