【主日礼拝】
福音メッセージ
アドベント(待降節)第2週  
2004年12月5日
天の王座から
イザヤ書6章1節 ヨハネによる福音書12章41節
メッセージ:高橋淑郎牧師

ある日、祭司イザヤの下に悲しい知らせが届きました。名君ウジヤ王の死です。悲嘆にくれた彼はしかし、王宮に駆け込むよりもまず神殿に入り、国家の行く末と民族の将来を神に祈り求めます。しかし、彼がそこで受けたビジョンは、御顔こそ見えませんが、いと高き天のみ座にいます神の臨在です。この世界を創造された神こそ、真の王、支配者、歴史の主であるということを示されたのです。この神が天の王座からイザヤに語りかけます。「あなたの罪は赦された。・・・わたしは誰を遣わすべきか。」と。イザヤは即座に「わたしを遣わしてください。」と申し出ます。これを献身と言います。しかし、預言者(伝道者)の道は平坦なものではありません。冷ややかで、心を頑なにしてメッセージを素直に聞かない人々が預言者を苦しめます。「愚かな人間は行くところまでいかないと目が覚めないからである」と神は言われます(11−13節a)。

 救われる者は誰もいないのかと思うそのとき、神は「それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。」(13節b)と言われます。イスラエル民族という木がその根っこから切り取られる時がくる。しかし、神はこの根っこにわずかながら切り株という聖なる種子を残してくださるのです。この種子がもう一度地に蒔かれ、やがて芽生え、成長し、再び大木となるという約束が与えられました。

 ヨハネ12:41を見てください。福音書の著者はあの時イザヤが見た幻は、イエスの栄光であったと解き明かしています。天のみ座にあって衣の裾を神殿いっぱいに広げてご臨在なさっていた方が、イスラエル及びイスラエルを通して全世界の人々の救いのために、自ら切り株となり、一粒の聖なる種子となって、天の王座からこの地上に下ってきてくださいました。これがクリスマスの意味です。

本文は長いのでパソコンでお読み下さい

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