【主日礼拝】
福音メッセージ
2005年2月6日
決別の挨拶 
マルコによる福音書14章43−52節
メッセージ:高橋淑郎牧師

12人の1人であるユダが近づき、「先生」と声をかけるや、接吻しました。よりにもよって主イエスに選ばれた弟子が、そのご恩も忘れて裏切ろうとしているのです。出会いの挨拶、別れの挨拶など挨拶にもいろいろな形があります。今日でも国によってお互いにハギング(抱擁)しながら、相手の首に接吻する挨拶の仕方がありますが、しかし、ユダがイエスにしたこの挨拶ほど悲しいものはありません。また会いましょうという希望を込めた挨拶ではなく、まさしく「決別の挨拶」、永遠の別れとなってしまいました。イエスの瞳は悲しみの涙で光っていたのではないでしょうか。その時イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」(ルカ22:48)と言われたほどです。

ユダはその後イエスが十字架につけられると知ったとき、後悔のあまり、受け取った30枚の銀貨を返しに行きました。しかし金を返せば済む問題ではないはずです。一方イエスが逮捕された時、弟子たちは皆蜘蛛の子を散らすように三々五々逃げて行き、要領の悪い一人がまとっていた布を掴まれて、慌てて裸のまま逃げて行ったという逸話まで紹介されています。聖書は言います。イエスを裏切ったのはユダ一人ではない。全員が共犯者なのだと。こういう人たちが後に教会を建て上げる伝道者として用いられて行くことになるのです。しかし、ユダひとり、孤独な死の道を選んでしまいました。

後悔や反省で留まっていてはなりません。悔い改めることが必要です。悔い改めとは、生き方を百八十度転換することです。自己中心の生き方をやめてイエス・キリストを心の王座に明け渡すことです。

共犯者である弟子たちのほとんどは、後に悔い改めて立ち返りました。ユダひとり後悔したまま、しかし最後までイエス・キリストの御許に立ち返ろうとしなかったのです。あなたはいかがでしょうか。

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