【主日礼拝】
福音メッセージ
2005年2月20日
底知れぬ罪 
マルコによる福音書14章53−72節
 メッセージ:高橋淑郎牧師  

 大祭司は祭司長、長老、律法学者たちを招集して最高法院(最高裁判所)を開廷しました。これは、実際には初めから結論ありきの裁判です。大祭司は裁判官としてイエスを死罪にする決め手となる証言を引き出そうとするのですが、どれもこれも一致しません。そこでイエスご自身から不利な証言に対する反論の機会を与えて、そこから何か糸口をと思いましたが、イエスは沈黙したままです。大祭司はついに最後の手段として、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と尋問しました。この時、イエスは初めて口を開き、「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」とお答えになりました。大祭司はこれを聞いて襟を正すこともしないで、反対に、「神への冒_罪に当たるが諸君はどう思うか」と死刑の表決を誘導し、確定しました。

一方この裁判を庭先で見ていたペトロに向かって、突然大祭司のお手伝いさんは言いました。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」と。この言葉を聞いてペトロは何と答えたでしょう。「そうです。わたしはいつもイエスと一緒でした」と答えたでしょうか。本当はそう答えるべきでした。なぜなら、福音書の中で彼ほどイエスと一緒にいる時間の長い弟子はいませんでした。しかし、彼は、「違う」と答えてしまいました。そうです。「違った」のです。彼はイエスと一緒にいたと思い込んでいただけで、本当はイエスの御心から遠く離れてしまっていたのです。鶏の声を聴いて泣き崩れた時、ペトロは初めて分かったのです。「自分は何とイエスから遠い者であったことか」と。わたしはイエスの一番弟子だとか、イエスのためなら死ぬこともできると思っていたときこそ、本当はイエスの御心を何一つ理解しようとしていなかったと、心のそこから悔い改めたのです。それがあの涙だったと言えます。ペトロにとってこの涙が本当の意味で信仰の原点となったのです。

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