【主日礼拝】
福音メッセージ
2005年5月8日
「一つ所、一つ心」
使徒言行録1章12-26節
メッセージ:高橋淑郎牧師  

 集まった120名の中には、11使徒の他に、母マリアとイエスの兄弟たちもいます。著者ルカは、どうしてイエスの母や兄弟たちもそこにいたとわざわざ書いたのでしょうか。

 かつて信じられなかった人が、今は祈りの輪に加えられている、と著者は言いたかったのです。これがキリストにある集まりのすばらしさです。特別扱いしているとしたら、イエスの兄弟だからというのではなく、かつてイエスを受け入れなかった人々が、今は祈りのグループの中にいるという驚きの眼差しから来る特別扱いです。過去は問題ではない。大切なのは今、イエスを信じられるか、信じられないかが問われているのだと著者は言いたいのです。

 母マリアの存在の意味も大きいと言えます。30数年前、「わたしは主のはしためです」と、聖霊の導きのままに、神のご計画を信じ、受け入れてイエスを宿し、そして出産しました。でも、あの時はまだ一緒になってはいないといっても、戸籍上の夫ヨセフがいて、自分を守ってくれていました。しかし、今は福音書のどこを見ても頼るべきヨセフの姿はありません。すでに天に召されてしまっているようです。夫に先立たれ、今は愛するイエスをあの惨たらしい十字架に死なせてしまったのです。それを思うと、悪しき宗教界や国家権力に対する憤り、やり場のない悲しみが交錯して、とても祈る気持ちになれないと考えるのが普通ではないでしょうか。

 今日は「父母に感謝」する礼拝をささげていますが、特にご自分の子を産み、育てた経験をお持ちのお母さん方には、母マリアの心情を共有できることと思います。しかし、そのマリアも祈りの輪の中にいるのです。この14節から、著者の静かな感動が伝わってきます。

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