【主日礼拝メッセ−ジ】                           
2006年9月10日   
「今も生きておられる」
使徒言行録13章26-37節
高橋淑郎牧師

ピシディアの会堂で、パウロを通して語られる神からのメッセージを聴いている人たちも、直接イエスを十字架につけて殺したわけではありません。しかし彼らもイエスを十字架につけた者の一人として連座制が適用されるのです。このことについて聖書は他の箇所でも、「アダムからモーセまでの間にも、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。」(ローマ5:14)と言っています。ここで言われている「罪」こそ「原罪」という罪です。全ての人はアダムのからだに流れていた血を受け継いだ子孫であると共に、原罪という罪の性質をも受け継いでいるのです。そして、この生まれつきの原罪という罪の性質が神を否定させ、救い主を拒絶するのです。この罪の性質が欲望をはらみ、罪を生み、罪が熟して死をもたらすのです。

あの、ピシディアの会堂で礼拝をささげている人たちは、なるほど直接イエスを十字架につけたわけではありませんが、生まれつきの性質のままでは救い主イエスを受け入れることができません。救い主を拒絶する罪はイエスを十字架に付けた人たちと同罪なのです。だから、パウロは声を大にして一人一人にその罪に目覚めさせ、十字架に死んだのに甦って、今も生きておられるイエス・キリストが、全ての人からその罪を取り除いてくださったという福音、この上ない幸いな知らせを取り次いでいるのです。

今、この仙川キリスト教会の会堂にいらっしゃる皆さん(この原稿を呼んでいらっしゃる方々)にもこのメッセージが届けられました。どうか、あなたも今すぐにあなたの心のうちに深く根付いてしまっている原罪という罪を取り除いていただくために、救い主イエスを心のうちに受け入れてください。あなたの上に神の祝福を祈ります。