【主日礼拝メッセ−ジ】                           
2006年10月8日
「 目を上げて
詩121編1−8節
高橋淑郎牧師

「主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。」(7−8節)

旅人にとって「出る」と「帰る」は、出発から帰宅までのことですが、詩人はもちろん、そういう意味で歌い上げているのではありません。もっと雄大な時の流れ、わたしたちの人生そのものを言うのです。わたしたちの人生にはいろいろな出発点があります。誕生、入園式、入学式、卒園式、卒業式。成人式、就職、結婚式、定年など、思えば実にいろいろ経験します。では、わたしたちの帰るところ、人生の落ち着き先はいったいどこなのでしょうか。神は「創世記」から「ヨハネの黙示録」まで聖書全66巻を通して、私たちに問いかけておられます。「あなたはどこかから出て、どこに行くのか。」と。人生の出発点は病院の産婦人科ではありません。お母さんのお腹でもありません。わたしたちの人生の始まりは命の創造者である神によるのです。人生の終わりもまた、神に帰らなければなりません。人生の「出る」と「入る」を守るのは神だからです。命は神のもの、神から出て神に帰るべきものだからです。人生はわたしのものであって、わたしのものではありません。命は神から出て、神に帰るべきものなのです。自分の命も人の命もわがまま勝手に使って良いというものではありません。わたしたちの人生は神のご計画のままに用いて頂かなければならないのです。そうでないと、わたしたちは帰るべきところを見失ってしまいます。それは実に悲しい結末です。

あなたの人生は誰の為にあり、それをどう用いさせていただくかを心に留めてください。そして、あなたの目を上げて神が示してくださるヴィジョンは何かを祈り求めてください。