【主日礼拝メッセージ 】                                                                                             2017年05月21日 

神の前で正直に告白しよう

詩編32章3−4節

山岸 明牧師

 「わたしは黙し続けて、絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く、わたしの力は夏の日照りにあって衰えて果てました。わ たしは罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。わたしは言いました。主に背きの告白をしよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してください ました。」(詩編32:3−5)

 私たち人間は罪を隠す性質を持っています。故に日々の生活の中で大なり小なり罪を犯してしまう者なのです。問題はそれをどう処理するかによって答えが 違ってきます。間違った対処をすると、それが重くのしかかり、疲れ果て、私を悩ませます。正しい対処をすると、人格が成長し信頼を得られます。

 ところで皆さんの日々の祈りはどのような祈りですか。お願い、感謝、執り成し、一週間振り返ってどのような祈りが多かったですか?皆さんの祈りの中に犯 した罪に対する祈りがあったでしょうか?今日のダビデの祈りを見ると、罪を言い表さない結果と、罪を認め悔い改めた結果が記されています。

 罪を言い表さなかったとき「わたしは黙し続けて、絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く、わたしの力は夏の日照りに あって衰えて果てました。」罪を隠すために色々と小細工をし、嘘の上塗りをし、自分を正当化するために相手の責任、社会の責任にしながら何もなかったかの ように人生を誤魔化して生きる。そういう事の繰り返しが、私の人格を壊し自分自身を苦しめていくのです。

罪を言い表したとき「わたしは罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。『わたしは言いました。主に背きの告白をしよう』と。そのとき、あなたはわたしの 罪と過ちを赦してくださいました。」裁きではなく赦しが与えられた。これこそ、十字架による罪の赦しです。この赦しがあるから罪の告白ができるのです。 「自分の罪を公に表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(一ヨハネ1:9)。神は罪を犯さ ない者を祝福するのではなく、神の前で罪を正直に告白する者が祝福される事を覚えて歩みましょう。