主日礼拝メッセージ                                                                                          2019年11月03日 

言葉は前向きに
ヨハネによる福音書1 章1−5 節
山岸 明牧師
        
      
  「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であっ
た。」(ヨハネ1:1−4)
聖書はイエス・キリストについて書かれているものであり、み言葉(言)はイエス・キリストそのものである。私たちは主イエスの言によって励ましを受け、慰 めを受け、勇気と力を頂き、希望を受けています。主イエスから頂く言はいつも肯定的で前向きの言です。まさに「言の内に命があった。命は人間を照らす光で あった。」主イエスの言からあなたは駄目だ、無理だ、あなたは必要ない、あなたに価値はない。そんな否定的な言は一切ありません。
ある心理学者が、人が1 日に語る言葉について調べたところ、80%以上が否定的な、消極的な表現だったと言います。言葉がいかに重要であるかが分かります。皆さんはどうですか?自分の発する言葉は肯定的・積極的ですか?それ
とも否定的・消極的ですか?
言葉は自分に対しても、周りの人に対して大きな影響を与えます。人を傷つけたり、不愉快にしたり、破壊したりする力を持っているかと思えば、逆に、傷つ き、苦しんでいる人を慰め、励まし、力づけ、絶望から救い出す事もできます。主イエスは神の言葉として、私たちを人生の様々な苦しみから解放するだけでな く、罪によって死と絶望の淵にある私たちを、そこから救い出す事ができるのです。「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵が与えられるよ うに、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りな
さい。」(エフェソ4:29)とある通りです。
肯定的な言葉は、私たち自身を変えるばかりではなく、私たちの状況も変えていきます。悪魔が喜ぶのは、私たちが否定的、消極的な言葉を使う時です。『わた しはだめだ、あなたはだめだ、ああ困った、何で私ばっかり、』こう言うと、悪魔は喜んで『そうだ、そうだ』と言って、私たちの心に巣をつくっていくので す。私たちは日常生活の中で前向きな肯定的な言葉を使うよう心がけよう。



 
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